『ふふ、あたしはあんたに似合うと思うけど』

『はぁ? コスモスってピンクのやつだろ』

『やっぱりあんたはまだまだね』

 早朝。

 蝉の鳴き声が嫌に煩い。幼い頃の記憶を夢に見て摂津万里は目を覚ました。起き上がると寝覚めの悪さに顔を顰める。古市左京の押し付けてきた規則に従い高めの室温に設定された空調に舌打ちをすると顎を伝う汗を拭った。

 大鼾でまだ眠りの淵にいる同室、同い年、誰よりも気に入らなくて誰よりも気に懸かる男を振り返り睨み付けた。睨み付けた先の間抜け面を嘲笑おうとして、笑えなかった。薄っすらと浮かぶ汗、濡れて光る首筋に、万里は再び舌打ちをする。視覚も聴覚も閉じてしまいたい衝動から部屋を飛び出した。

 そうして飛び出した先の中庭で月岡紬と視線がかち合う。

「万里くん、おはよう」

「……早いっすね」

 意外そうな表情で尋ねられた紬は万里の反応に可笑しそうに微笑んだ。

「暑いからこの時期はなるべく早朝の時間帯にも見ようと思って。丞もランニングに出たところだし」

 手入れされる花達もそれは光栄であろう。そんなことを思いながら万里が花壇を見遣ればそこに深い色合いの花を見つける。

「……コスモスか。あーっとチョコレートコスモス、だったか?」

「うん、そうだよ。落ち着いた深い色合いなのに可憐で愛らしいよね」

 人垂らしならぬ何とやら、と万里が乾いた笑いで返すと紬は悪戯げに万里を見上げた。

「名前を聞いたら十座くんが喜ぶかも」

 これは釣られてはならない会話だと判断して万里は気のない返事をした。万里の様子に紬は花へと視線を戻すと柔らかく目を細める。

「万里くんが公式プロフィールで撮影に使ったキバナコスモスはチョコレートコスモスとの交配種が色々とあるんだよ」

「へぇ」

 花へ語り掛けるような優しい声で紬が説明すると万里は先程夢に見た幼少期の記憶を蘇らせた。揶揄を含んだ姉の言葉に花に詳しくなきゃガキなんてピンクの個体しか知らねぇだろ、と心の裡で悪態を吐く。

「もし花屋や園芸屋に立ち寄る機会があったら見てみて」

「うぃ~」

 花屋に行く機会なんざアンタとのカフェ帰りしかねーけど、と思いながら紬へ軽く手を振ると中庭を後にした。

《ストロベリーチョコレート》

「もうすぐ十座の誕生日だ」

 キッチンで隣に並ぶ伏見臣が楽しそうに笑みを溢すと万里はじっとりと目蓋を下げた。

 顔を洗い身支度を済ませた万里が談話室へ移動すると早朝ということもあり食事当番の臣の姿だけがあった。自身で珈琲を淹れるのに隣へ並び手を動かしていたところにこの言葉。明らかな意図を感じる。

「さぁ?」

「まったく……。素直じゃないな。十座の誕生日当日は丁度風林火山の公演が千秋楽なんだ。それで左京さんがそのまま打ち上げに連行される前に回収しねぇと、って警戒しててな」

 連行されて大いに結構。そのままあっちで祝われりゃいいだろう。そんな思いが顔に出てたのか、隣の臣が眉尻を下げた。臣が気を取り直して微笑むと独り言のように語る。

「監督が千秋楽のチケットを確保してるから残るは誰が同行できるかだ」

 あくまで独り言だから気にしないでくれといった風な横顔に万里は渋顔を作り頭を掻いた。残念なことに丁度千秋楽の予定が空いている。その上、公演期間中の予定が詰まっており観劇できる日はその一日だけだった。恐らく自分の為にチケットを確保しているであろう総監督の立花いづみの姿を想像し万里は大仰に溜め息を吐く。

 たかだか誕生日。誰と祝おうが関係なかろうと思うものの万里の初めての飲酒相手が自分でなかっことを左京は甚く悔しがった。それ以来、左京は秋組メンバーに親心でも働くのか些か〝過保護〟だ。

 来月二十歳を迎える七尾太一の誕生日には一体どうなることやら先が思いやられる。

 淹れたての珈琲の香りを胸いっぱいに吸い込むと騒がしくなり始めた洗面所の気配を察して万里は二階の雑談スペースへの避難を決めた。

「万里、朝食は?」

「あーうるせぇのがいなくなったらまた来るわ。自分でやっから仕事気を付けてなー」

「ああ。万里も気を付けてな」

 二階へ移動したところでほっと一息吐く。この時間、ここには誰も来ない。大鼾の主はもう目を覚ましただろうか。再び汗で光る首筋を思い出してしまい万里は顔を歪めた。

 兵頭十座は現在、大学と風林火山の公演が中心の生活をしている。秋組公演が風林火山に置き換わっただけの話であるし今までも何度と繰り返されてきたことである。

 平日は一公演、土日祝は二公演。

 八月初めから始まった稽古は九月に幕を開けた。十座に与えられる役も名のあるものが定着し始め、鹿島雄三に監督が釘を指す光景も恒例となってきた。そうして秋組第六回公演からもう二年になるのか、と過ぎ去っていった時間の早さを思う。

 今年の秋組公演は十一月中旬からのスケジュールである為、十座の客演が九月中に重なったのは初めてのことだった。

 ──九月中と言うより。はっきり言ってしまえば自分と兵頭の誕生日に客演が重なったのは、だ。

 気にはなったものの何処で誰に祝われようと自分達の関係性は相変わらずであるし、これから先そういったことが増えていくのだろう。先程臣に対して返した言葉とは裏腹にこんな些細なことで引っ掛かる自分自身に辟易していると万里の思考を支配していた男が現れた。

「摂津、今時間あるか」

 自分をわざわざ探しに来るなど珍しい。万里は舌打ちするも仕方なく斜向かいのソファを顎でしゃくった。万里の態度に眉間の皺を深くしながらも腰を下ろすと十座は手荷物から台本とスマートフォンを取り出した。

「……てめぇの意見が聞きてぇ。引っ掛かってるとこがある」

「監督ちゃんがいんだろ」

「監督に確認した上で聞きに来た」

 十座が自分と意見交換をする必要性も感じていた様子を監督は察したのだろう。最近は互いに案出しや確認のやり取りも多いがあくまで〝ここ〟での公演の話であり、客演となればまずは客演先。そこから許可を得た上で所属劇団の総監督、と指示系統を守っているのは間違いない。

 それでも素直に応じることができない自分は相変わらずだ。兵頭はこんなに変わったのに──

 いや元々素直な性格であるしこれが本来の姿なのであろう。出会い方から対抗心までお互い時間を要することは必然だった。それを呑み込み、受け入れた違いの差だ。一つ呑み込んでしまえばそこまでの抵抗もなくなる。ただ自分は兵頭のように呑み込むことも受け入れることもできそうにない。出会い頭に負けたあの悔しさは永遠に燻り続け、それを言い訳にして反発し続けるのだろう。素直になれるわけがない。この感情を呑み込み受け入れてしまっては困るのだ。憧れも尊敬も嫉妬も兵頭のように呑み込むことはできない。

 この感情には不純物が多すぎる。

「おい。聞いてんのか」

 十座の言葉に顔を上げると「聞いてねー」と喧嘩を売るように小馬鹿にした態度を返す。その態度に舌打ちをしたものの、一から話し始める十座の様子に万里は好悪綯い交ぜになった複雑な心を押し込めた。

「……て場面なんだが、昨日の公演でアドリブが入ってから自分の演技も解釈もいまいちしっくりこねぇ。アドリブの内容はこうだ」

 兵頭が公演中に役の解釈に悩むことは珍しかった。きっと秋組公演であるからこそ悩むことはなかったのだろう。

「台本全部読みてぇんだけど予備あるか? 意見まとまったら連絡する」

「第八回公演以降、雄三さんに断って毎回監督の分も台本貰ってるから監督に、」

「あー、いい。一限からでもう出る時間だろ。監督ちゃんには俺から声掛けるわ。講義終わったら合流するしそん時監督ちゃんとも話してみる」

「分かった。恩に着る」

 するとタイミングよく階下から皇天馬と七尾太一、そして兵頭九門の十座を呼ぶ声が響いた。立ち上がると足早に階下へ降りて行く十座の背中に「LIMEにさっきの動画送っとけ!」と声を投げる。手を挙げて応じた後ろ姿を見送ると万里は深く息を吐いた。

 大学三年になり、就職先については一切悩まなかった。MANKAIカンパニーで役者、演出助手として生きることを決めていたしそれを監督へ伝え他劇団の手伝いに同行するようになった。今日も夕方から合流し相手方の千秋楽までの期間、手伝いに駆り出される予定だ。毛色の違う他の劇団を観劇するのみでなく裏方として知ることは勉強にも刺激にもなり、面白い。いつか、風林火山も──

 そんな想いが頭を過ると万里は再び深い息を吐いたのだった。

「雄三さんにカチコミでもすっかな」

「それはどうかなぁ」

 台本を借り事情を説明した結果、監督と手伝い前少し長めに時間を取ってカフェで話し合うことになった。

 今回の風林火山の公演でのアドリブと十座が演じる役の解釈について、どうにも意図的だと感じるのだ。勿論観客に中途半端なものを観せるつもりなど毛頭ない。

 しかし、だ。十座は役を作り込む…いや、役そのものになった状態で初日から立ち回れる役者だ。公演期間中にその入り込み方が更に深まることは当然あれど稽古期間に詰めて初日から役どころを掴む力を備えている。公演期間中に役をブラッシュアップさせていく役者もいれば兵頭十座のような役者もいる。勿論そこに良し悪しなどはなく、結局のところ毎公演一期一会である観客の心を惹き付けられるかどうかの話だ。悔いのないように全力で毎公演を演じ切る。それでも板の上の一瞬で突然の変化が起きることはある。その一瞬を経験することが、目の当たりにすることが、どれだけの熱を孕むかも知っている。役に入り込んだ状態の兵頭でさえ、その一瞬があるのだから。その一瞬の熱を浴びる瞬間がどれほど心躍ることか。

 その兵頭十座の役者としてのスタイルをどうにも意図的にきっかけを与え何やら変化させようとしている気配がとにかく気に入らない。それは〝ここ〟でやるべきことだ。

「昨日左京さんが観劇してきたんだけど帰って来た途端『底意地が悪い』ってだけ感想を話してくれて続け様に『兵頭が声を掛けてきたらよろしく頼む』って」

 それは果たして感想なのか。万里が思わず苦笑を漏らすと監督は眉尻を下げた。昨日の今日であるから兵頭にしては判断が早い方だ。恐らく古市左京の二言目には〝声を掛けなかったら〟の意図も含まれていてそれもそれでどうなのだ、と万里は思う。左京自身、十座を信じて言い淀んだのかもしれない。朝方左京に十座の様子を問われたかと万里が質問してみれば監督はどこか幸せそうにこくりと頷いた。きっと師弟関係のような二人を見れることは監督にとって嬉しいものなのだろう。

 十座としても客演という立場から自分一人で長考してる時間はない、と考えたのだろう。何事も自分で解決せねば、と抱え込む性質であるから第八回公演以降皆木綴から勧められた日記の習慣は十座を良い傾向へ導いてくれている。周りに頼ることができるようになった。周りの意見を聞いて自分の答えを探している。その程度のことなど〝頼る〟行為でも何でもないのだがそこら辺はまだ理解っていないに違いない。去り際の「恩に着る」の声が頭の中で反響した気がした。

「左京さんが来てたのは偶々だろうけどタイミング最悪だな」

「十座くんの誕生日控えてるもんね」

 そこであ、と声を上げた監督が着信があったと席を離れた。話している内に温くなった珈琲を啜る。氷が溶けて風味が変化してしまったことを残念に思いながら帰宅したら氷珈琲でも作ろうか、と考えていたところで監督が戻ってきた。腰を下ろし「雄三さんから」と返した監督へ身を乗り出す。

「昨日の件について謝罪と灸を据えたからって」

「じゃあ雄三さんは関与してねぇってことか」

「うん。千秋楽が十座くんの誕生日だからいい公演にしたいのと、色々先走っちゃったみたい」

「……ったく。どんだけ可愛がられてんのか知らねーけど弁えろよ」

 万里の一言に監督は大きな瞳を瞬かせてから微笑んだ。その様子に万里はしまった、というように口元を押さえると目を泳がせる。

「勿論役者として客演で求められること試されること品定めされる状況に応えていくのも大事だけどやっぱり役者としての成長や躍進についてはMANKAIカンパニーの領分でありたいところだと私も思う」

 ね、と同意を求められ堪らず顔を背けた万里に監督は再び微笑んだ。

「万里くんからこうして〝うちの劇団員〟って強い意識や熱意を感じられること嬉しくて頼もしく思うの。劇団員をよく見せたい、自分達が一番に咲かせたい、って思いを共有できてそれを当たり前のように言葉にしてくれるようになった万里くんをかっこいいと私は思う」

 そうして時間を確認すると居心地悪そうな様子の万里に声を掛ける。

「万里くんの答えは出たかな」

「あー…。まぁ」

 兵頭が考えてることと対して変わんねぇけど、と心の中で付け足すと二人揃って席を立った。

『もしもし』

「前置き。この後の公演から無理に変えようとすんな」

『分かってる。客演だからな』

 〝客演〟のたった一言にどうしようもなく嬉しさが込み上げ、感情の遣り場に苦心する。秋組公演であれば無茶もする──その威勢の良さも気概も嫌いではないし今では心地良いとさえ思う。それこそ変に遠慮しいだったこの役者と重ねてきた年月だ。

「俺が演じるとしたら役の解釈は変えねぇ。そのまま行く。ただ、アドリブで試された部分は役の見えない一面、意外性として落とし込む。一成とか至さんみてぇな一面って誰だって持ってんだろ。狼狽えてヒーヒー言わされてんじゃねぇ。テメェは普段通り太々しくしてろ」

『後半の蛇足が長ぇ』

「人に泣きついてきたのはどっ『だが、俺も答えは出た』

「………おう。殺陣しくんなよ」

 じゃあな、と切れた電話を耳から離すと〝兵頭〟と登録された連絡先をじっと見つめる。ふ、と笑った時に返す声に千秋楽で一番の演技を見せてみろと強く思った。

【誕生日一週間前 ─夜】

「今回の十座さんの役、普段とまた違った感じで面白いな」

 泉田莇の感想に次回観劇予定の太一と臣が嬉しそうな声を上げた。それを聞きながら万里は夕食に出された鮭のムニエルを頬張る。きのこのクリームソースがうまいな、と舌鼓を打っていると太一が話を振ってきた。

「万チャンは監督先生と千秋楽行く予定ッスよね!」

「あ~? あー……まぁ一応」

 結局関わってしまったからには行かないわけにもいかなくなった。そもそも監督ちゃんとあの日時間を取った時点で自分の中でも観ないわけにはいかなかった。台本を読んだ限り今回の役は向こうの座付き作家から兵頭への〝プレゼント〟と言ったところか。厳しく仕込まれ可愛がられているにしたって今回は珍しく浮き足立ちすぎだろう。いい歳して揃いも揃って不器用なのか?

「そうだ! 当日は十座サンの誕生日だし代表で万チャンがお花贈るのはどうッスか?」

「ハァ?! ありえねー……しかも風林火山差し置いて客演の大根に花とか…」

 太一のまさかの思いつきに思わず肘をついて頭を抱える。万里がげんなりしているとどこから現れたのか紬が和かに微笑んだ。

「ふふ、客演だからって遠慮することはないんじゃないかな? 意外と客演への差し入れも多いものだよね、丞」

「ああ。天鵞絨町は演劇の街で劇団数も所属する人数も多いから客演を雇わない劇団が比較的に多いだけで普通に客演目当ての観客もザラだな」

「そういえば…、十座が客演に入ってから若い女性客が増えたって雄三さんが笑ってたな」

 高遠丞に続いた臣の一言に万里は思案する。兵頭のファンか……確かに演じる場所がうちじゃなくても応援してる役者の出演作品は気にはなるよな…。一緒に演じている自分ですら気になるのだから。万里の一瞬の隙に紬は朗らかに、だがどこか圧の籠もった口調で周りには聞こえないよう囁いた。

「贈る花に悩んでるなら相談に乗るから」

「いや、俺は」

 紬の一言に言い返そうとしたところで左京が得意げな表情で口を開いた。

「確かに花渡してそのまま引っ張ってきちまえば打ち上げに連行されねぇな」

「片付けあんだろ!!」

 新たに湧いて出た左京へ万里はすかさず突っ込みを入れる。しかし左京は万里の一言にふん、と鼻を鳴らした。

「こっちには貸しがあるからな、今回は無礼講だろう」

 監督からその後についての話を聞いたのだろう。今日観劇してきた莇からも事情は話さないもののそれとなく様子を窺ったに違いない。どこか嬉しそうな左京の様子に万里も多少安堵する。左京のこの様子からして兵頭の客演は好調なようだ。

「何の話ッスか?」

 大きな瞳をくりくりさせ首を傾げた太一に左京がこき使いすぎなんだよ、と適当に返す。

「まぁ左京さんの言う通り折角用意したご馳走を主役に振る舞えないのは俺も残念だしな」

「万里さん、責任重大だな」

 揶揄うように笑った莇に万里は心底嫌そうに声を上げたのだった。

「万里くん」

 中庭に出たところで紬に声を掛けられる。振り返るとわざわざ酒席を辞して追い掛けてきたらしい。

「いや、だから花は…」

「………少し話をしよう」

 断わろうとするも芯の通った声で紬が告げた。こういう時は断れないパターンだ。普段話を聞いてもらっている分、時たまの強引さを少しだけ狡く思う。

「俺は一度演劇から逃げた。けど、GOD座での丞の初舞台が観たくて行ったんだよね」

「………紬さんらしいっすね」

「あはは、そうだね。そう言ってもらえたの嬉しいな」

 そりゃまぁここで過ごしてきた時間も今ではそれなりの年月だし。そこで万里はハッとして驚いたように目を見開いた。顔を上げると青みを帯びた緑の双眸が穏やかに微笑んでいた。

「今もあの時のことをふと考える。今までの自分の演技を全否定されたこと、丞と芝居ができないこと……。俺にとって一体何が大きかったのか考えるとやっぱりこの二つに辿り着く」

「紬さんにとっては今じゃ前者は言われたところでモチベーションにしかなんねぇけど、丞さんと芝居ができなくなるってそんなにでけぇの?」

「あの配信をした万里くんがそれを聞くの?」

「はぁ~…………ずりぃ……」

 ──分かっている。隣で演劇を続けたい存在の大きさも大切さも。だからこそ去年の他己紹介で〝ある項目〟に二つの名を記入した。普段ならば相手の虚を衝くような返しなど滅多にしてこない紬の事実をありのまま告げる真っ直ぐな言葉に万里は顔を逸らすと何の気なく花壇を見つめた。

 顔を逸らした万里の横顔を紬は穏やかな瞳で見つめ、暫し沈黙する。秋虫が鳴き始めたのを合図に紬が口を開いた。

「花は贈れる時に贈っておかないと」

 そう言って満面の笑みを浮かべた紬へ万里は思いきり溜め息を吐く。

「柄じゃねぇし気持ち悪ぃ……」

「そうかな?」

「俺は兵頭に花なんか贈られたらゾッとすっけど」

「すごく嬉しいと思うよ」

「はぁ? 俺でもないのに何言ってんすか」

 揶揄いなのか本気なのか。今日はやたらと押しの強い紬への困惑と多少の苛立ちから背けた顔を紬へ向けると人好きのするいつもの笑顔と真摯な眼差しがそこにあった。

「けど、嬉しいよね?」

「………あー! ったく……嬉しいに、決まってんだろ」

 ガーデンテーブルに突っ伏すと頭を抱え掻き毟る。こんなこと誰に言うつもりもなければ知られたくもない。だというのにそれを引き出す目の前の男は、恥ずかしげもなく悔しいくらいに真っ直ぐな言葉を口にした。

「ふふ。俺も丞から花を贈られたら嬉しい。今のところダンベルしかくれないけど……」

「はは、したら兵頭は花より団子だな。花なんて文句しか言わねーだろ」

「甘い物はきっとここで貰い慣れてきたところだから、自分のことを想って選んだ花を贈られたら嬉しいね」

 紬が酷く柔和な笑みを浮かべて見つめた先は一〇四号室の扉。その瞳に思い描いた相手はまだ帰宅していない。紬の十座へ掛ける優しさがどれだけ温かなもので、当初からそっと見守り続けていることは理解しているつもりだ。きっと大人達は皆そうだ。ずっとアイツを見守っている。けど、俺は隣に立っていて、──大人達とは違う。

 隣りに立つこと、張り合うこと、目指すこと、足並みの異なる歩幅、時折交わる視線。

 今まで歩いてきた足跡はあの日まで交わりもしなかったのに、あの一発でこんなにも近くにいる。交わる視線がある。自分が認めたくない感情を、認められる目の前の相手に感服する。

「………俺は、ああいった配信でしか言えねーけど紬さんは恥ずかしげもなく認めて公言できんのほんとすごいっすよね」

「公言したことはないんだけどな」

「滲み出てるじゃん。幼馴染でずっと一緒で、これから先も一緒にいたいって、芝居がしたいって、幼馴染ともなると恥ずかしいとかなくなるんすか?」

「まさか。こんな話、丞には聞かせられないよ」

 そんなことはないだろう、と万里が怪訝な表情で紬へ視線を向けると耳が赤くなっていた。……レアじゃね?

「話すぎたね、そろそろ戻らないと誉さんが泣き始めて大変かも」

「あー。ま、花は……自分でどうにかするんで」

 その言葉に驚いたように目を見開いてから紬は嬉しそうに微笑んだのだった。

【誕生日二日前 ─夜】

 太一と臣の感想、椋と九門の嬉しそうな声。

 日々尽きない客演情報と迫る千秋楽に手伝いから遅めの帰宅をした万里は夕食を取りながらどうしたものかと思案する。

 花を贈るなんて絶対に知られたくはない。が、監督が一緒なので紬に続き監督にもバレることになる。勿論吹聴するような人ではないから漏れることはないだろう。それに左京が自分に花束を用意する気がないと分かれば監督に贈る花束を持たせるはずだ。それはそれで面白くはない。監督ちゃんからの花束に鼻の下伸ばして俺の花束にはイチャモンつけてきやがったらぶん殴ってやる。

 まぁ。そんなことはなくて、アイツは気味悪がりながらも素直に喜んでくれるのだろう。

 綴の作った炒飯を頬張っていると玄関から帰宅の声が響いた。耳を澄ました限り、兵頭と臣か。きっとこの時間帯なら上がる時間に重なると踏んだ臣が兵頭を拾ったに違いない。

「ただいま。万里も遅かったんだな、お疲れ」

「おー、お疲れ。炒飯」

 美味そうだ、と微笑んだ臣に後ろにいた兵頭はレジ袋に手を突っ込んでガサガサと音を立てていた。炒飯そっちのけかよ、帰宅早々うるせぇな。

 しかし十座はレジ袋から目当てのものを取り出すと万里の目の前にとん、と置いた。

「やる」

「あ?」

 置かれたコーヒーゼリーに目を丸くする。鬼の撹乱か…?

 目を丸くしている万里に十座は引き結んでいた口を小さく開くとぼそりと呟いた。

「……この間の礼。遅くなった」

 そうして先に風呂いってきます、と臣に伝え去っていく背中を茫然と見送ってから勢いよく臣を見上げた。

「雹でも降るのか?」

「コラ。十座は割と普段からしてるだろう」

 自分ごとのようにはにかむ臣の表情に万里は困惑するしかない。確かに兵頭は今ではああいったことも平気でする。俺とは違う。臣も事情は知らないが自分達の間に何事かがあり、その礼をしたいと言う兵頭の頼みに付き合ったのだろう。必死にコンビニスイーツを吟味していた姿でも思い出したのか臣は嬉しそうに眉尻を下げた。

「頼むよ、リーダー」

 その顔で俺に花束を頼むのか。ずるいだろうが。

 遠慮しいでリーダーである自分を支えられたら、と気に掛け人一倍気負っていた臣にそんな頼まれ方をされたら万里としては堪ったものではない。こうして臣にトドメと言わんばかりに外濠を埋められた万里は深い溜め息を吐くしかなかった。

 炒飯を食べ終え、据わった目で臣へ洗い物を頼んでみると快諾された。太一には言うな、とだけ告げると一段と嬉しそうな表情をするものだから思わず左京さんには伝えるんだろうな……と万里は再び大仰な溜め息を吐いた。悩んだ末にコーヒーゼリーはマジックで名前を記すと冷蔵庫にしまった。今は食えそうにない。そうして自室へ戻る途中、中庭の花壇へ歩み寄ると花々を眺めた。キバナコスモスとチョコレートコスモスが並んで夜風に揺られている。しゃがんで目線を合わせるとふ、と苦笑が漏れた。

「チョコレートって名前だけあって色もほんとにチョコみてぇだな」

 花へ語り掛けるとかやべぇなと照れが勝ったところでん?と目を凝らした。スマートフォンのライトを点灯すると照らしてみる。深い色合いの中心部がどこか紫色を帯びているように感じる。

「へぇ」

 感嘆の声を漏らし、考えがすっきりと纏まったような気持ちで立ち上がると自室の扉を開いた。が、そこでまた心を掻き乱される。扉を開くと風呂上がりの十座がそこにいた。タオルで髪を拭く度にちらりと見える脇腹に思わず顔を背けると平常心を装ってウッドチェアに腰を下ろした。デスクの前で暫く黙って髪を拭いていた十座は手を止めるとぼそりと何事かを呟いた。聞き取れなかった言葉に万里が振り返ると被せたタオルで見えない横顔があった。

「………なんだよ」

「コーヒーゼリー、美味かったか?」

「あー……まだ食ってねぇけど」

 その一言に金色の瞳が振り向いた。タオルと前髪の隙間から光る瞳にどきりとする。コーヒーゼリーをやったことを惜しんでいる風でもなければすぐに食べなかったことを非難している風でもない、どこかほっと和らいだ目元に万里の鼓動が高鳴った。

「明後日楽しみにしてろ、ちゃんと芝居で返す」

「……へぇ。言うようになったじゃねーか」

 十座の宣言に知らず笑みが溢れた。満足げな万里の様子に背を向けるとタオルをデスクチェアに掛けて「飯」と部屋を出て行こうとした十座を万里は慌てて捕まえた。

「おい! 髪! ちゃんと乾かせ!」

「あ?」

 腕を掴まれ振り向いた十座は面倒そうにまだ暑いからその内乾く、と返した。そういうことじゃねぇよ!と十座を無理矢理デスクチェアに座らせると自身のスペースからヘアオイルとドライヤーを急いで持ってくる。ヘアオイルを濡れた髪に馴染ませドライヤーの温風をあてると十座が暑い、と不満を口にした。

「お前な、風林火山はまだいいけど自分の手入れはちゃんとしろ。もう四年だぞ、美容に疎いじゃ済まねーんだよ。客演先でMANKAIカンパニーまでバカにされんだぞ」

「……」

「折角綺麗な髪の色して……」

 そこでしまった、と言葉を切った。ぴたりと止まった万里の手に十座が怪訝そうに振り向いた。

「……ドライヤーで何言ってんのかさっぱり聞こえねぇんだが」

 ドライヤーをオフにすると万里は何の感情も映さない表情で「何でもねぇよ」と呟いた。ドライヤーを再開し、ある程度乾かし終えると再度オフにする。風呂上がりなこともありドライヤーの温風で滲んだ首筋の汗を思わず掛けてあったタオルで拭った。自分のどうしようもない欲望ごと纏めて拭い去りたい気持ちから力を入れ過ぎたのか「痛ぇ」と声が上がり、慌てて手を止める。

「莇に聞いて自分に合うヘアオイル買えよな」

「……ああ」

 そこで十座の腹が盛大に鳴り、そそくさとダイニングへ去って行った。閉じた扉を暫し眺めてから万里は思わずしゃがみ込んだ。

 どうしようもなく、触れたいと思う。

 ライバルとして仲間として役者として演出助手として関わっていきたい。

 そこに混ざり込んだこの感情は不純物だ。

 自分はきっとあの二人のように〝かっこいい人〟にはなれないのだろう。否定し続けて見ないふりをしてきた、触れたその先どうしたいのかを最早受け入れるしかない。そうして熱を持った掌をぎゅっと握り締めた。

【九月二十七日 ─当日】

「「「誕生日おめでとう!!」」」

 クラッカーのけたたましい音が鳴り響く。朝から盛大に祝う声をダイニングチェアから万里は辟易しながら眺めた。呆れながらも、嬉しそうに抱き付く九門と手を握って祝う椋の姿に自然と口元が綻ぶ。綻んだところで万里の穏やかな心持ちは一瞬にして激しく揺さぶられた。

「今日! 母ちゃんチケット取っててさ、やっぱり俺も千秋楽行きたかった~!」

「九門、講義は大事だ」

「うん! 頑張る! 兄ちゃんの為に準備して待ってるからちゃーんと帰ってきてね」

「ああ」

 今から同じ大学へ向かうというのに何を言っているのか、そんな突っ込みも忘れて頭を撫でられ喜ぶ九門を万里は目を剥いて見つめるしかなかった。兵頭母が来る衝撃を隠せない。楽屋に来るのか? 花はどうする? そもそも雄三さん達がいる前で渡したくねぇ。色々な感情を渦巻かせながら思わず片手で頭を抱えた万里に監督の声が届く。

「十座くん、お母さんが来るなら楽屋行くのは控えた方がいいかな?」

「いや。俺も驚いたが母さんも公演後に会うつもりはないだろうからあとで電話してみる」

「夜も遅いしよかったら送迎するから聞いてみて」

「あざっす」

 監督の言葉に気持ちが少し落ち着いた気がした。そうだ、折角の誕生日なのだから親に会える機会があるなら会った方がいい。花なんていつでも贈れるし…と情けない言い訳を考えていたところで隣にす、と紬が現れ見上げようとしたところで手で制止された。

「万里くん、花を贈る機会って逃すとあんまりないから」

 自分にしか聞こえない声量で囁かれた言葉に二人揃って前を向きながら会話をする。

「はぁ……。紬さん流石に今回はお節介すぎじゃね?」

「ごめん。きっと、次の進む道が決まった二人へ俺は大きな世話焼きがしたかったんだ。どんな道でもここがある。皆ここにいる」

 兵頭の、卒業後───

 それはまだ聞いていなかった。思わず顔を上げると紬もこちらを見つめていた。紬もやはり自分ごとのように酷く優しい表情をしていて万里は押し黙るしかなかった。

 午前で講義を終えるとそのまま行きがてら昼食を済ませて監督と合流した。今日はもう千秋楽後のバラし作業のみで手伝いも早めに終了予定だ。翌日に作業を伸ばせるのは専用劇場を持つ劇団の多い天鵞絨町ならではである。

「監督ちゃんこっちも大丈夫だ」

「ありがとう、じゃあ報告に行こうか」

 解散した後、万里が思い出したようにぽつりと呟いた。

「……気になってたんだけどさ、俺の口座に入ってくる手伝い分の給料多くね?」

「え! 多くないよ!! ……万里くん、勉強させてもらってる感覚は駄目だからね。しっかり受け取って下さい」

「いや監督ちゃんに言われても説得力ねぇな……」

 日頃から勉強になる、と溢す監督の姿を思い浮かべ万里が横目で見遣ると監督はあはは…と目を泳がせた。だがその言葉が嬉しい。外に出たら自分などまだまだなのだ。けれど監督が、二十三人が、自分が在る意味となる。価値となる。それだけで自分は前へ進める。

「十座くん、公演前にお母さんと会うことになったって」

「ふぅん。ま、誕生日だからいつも以上に日頃の感謝は伝えたいだろうしな」

 その言葉に監督が嬉しそうに笑ったので万里は頭を掻いた。その姿にまた微笑むと監督がこの後の予定を口にする。

「私も公演前に雄三さんから呼ばれてて万里くんは、お花……」

 遠慮がちに見上げてきた視線が痛い。目蓋を下げて乾いた笑いを浮かべると「時間あるし歩いてくわ」と複雑な思いで呟いた。

 昨日慌てて花屋に問い合せ目当ての花を取り扱っていることを確認するとそのまま花束を注文した。その際に案内された言葉を思い出す。薔薇の花束が基本であるが花束の本数には意味がある、と。そうして本数に込められた意味を案内する言葉に耳を傾けていた万里はとある本数で即決した。

 花屋に着くと軒先で暫し花を眺めてから店内に入り、予約名を伝える。そうしてカスミソウが控えめに添えられた花束を確認すると持ち運ぶよう手提げ袋に包んでもらって店を出た。選んだ花はキバナコスモスとチョコレートコスモスを交配した〝ストロベリーチョコレート〟という赤いコスモスだ。万里自身モチーフフラワーとなっている品種を贈る花として選ぶのはどうなのだ、と呆れたものの思いを伝えるならチョコレートコスモスを調べている内に辿り着いたこの花しかないと思った。

 ヒガンバナを彷彿とさせる赤。赤を見ると太一の鮮やかな髪色を思い出すが、同じく兵頭の姿も過ぎった。

 兵頭十座は赤が似合う。

 それは秘めた情熱か、はたまた纏う血潮か。

 知れば知るほどにアイツは静で、けれど心の裡には激情があった。違う誰かになりたい羨望も、芝居への情熱も、歩んだやるせない日々も全て押し込めた静かで激しい畝りだった。それが自分と対峙し発露される瞬間に─── 恋に、落ちたんだ。

 恋なんて綺麗な言葉では片付けられないか、と自嘲の笑みを浮かべたところで嫌なことを思い出す。自分でも当時を思い返すと正気の沙汰ではないと思うが以前─この想いを自覚した際に─恋とは何かと調べてみたのだ。そうして「強く惹かれる」「強い関心を持つ」の意味合いに間違いではない、と兵頭へ抱く感情を擦り合わせてしまい頭を抱えた。自分は芝居に関連することであれば何でも興味を唆られるが文学には興味はないし何故このありふれた言葉を調べたのかも最初はぴんと来なかった。しかし調べようと思い至った自分の奇行を振り返った際に浮かんだのが「天立甲」の顔だった。そういえば、月岡紬と高遠丞、天立甲は同い年だった気がする。彼らと同じ年代になった自分と兵頭を想像しようとして、やめた。

 想像したって意味がない。想像したってつまらない。

 相手はあの兵頭十座で、いつも自分の想像に及ばない世界がそこにはある。……ま、今じゃある程度想像できることも増えてきたけど。

 過ごした年月を想って、足取りを速めた。

【風林火山 ─千秋楽】

 劇場に備え付けてあるロッカーへ花束を預ける際、思わず赤いコスモスへ「枯れんなよ」と囁いた。奥まったロッカースペースから座席番号を確認しながらロビーへ移動する。万里がチケットから顔を上げたところで扉付近に監督と兵頭兄弟の母親の姿を見つけた。二人も自分に気付くと手を挙げた。

「こんちは」

「摂津くん、こんにちは」

 柔らかい雰囲気を持つ十座の母親を見かける度に本当に親子なのか?と万里の頭には疑問が過ぎる。が、従兄弟の向坂椋に雰囲気が近いのかもしれない。父方母方どちらの従兄弟かは分からないがきっとそうだろう。そういや夫婦は雰囲気も似てくるとかねーちゃんが騒いでたな……。姉を思い出し、万里が乾いた笑みを浮かべていると十座の母に突然礼を言われた。思わず監督を見遣ると嬉しそうに頷いた。

「十座が今回の公演は摂津くんに助けられたってさっき話してくれたの。秋組の皆にはいつも助けられてるって時々話してくれるのよ」

 そうして九門のいる前ではお兄ちゃんでいたいみたいだから話さないんだけど、と付け加えられた言葉に噴き出す。勿論九門には別でそういったことを伝えていると母親も分かっているだろう。それでもどうにも可笑しくて肩を震わせていたところで肩の力が抜けていることに気付き、その気遣いに感謝した。

 帰りはお母さんを送っていくつもりだったんだけど、と事情を話そうとした監督を制止して母親が口を開く。

「車はお仕事の荷物が多いでしょうしお邪魔してしまうのと私の我儘で監督さんともう少しお話がしたくて歩いて帰ろうと」

「いや夜道危ね、「車出すぞ、監督さん」

 遮るように被さった声を振り返り、随分と調子がいいなと非難するように目蓋を下げて黙って見つめる。見つめられた鹿島雄三は万里の反応に目を丸くしたあと楽しそうに笑った。

「誕生日公演、先を越しちまったな」

「ハァ~~? 何の事だか」

 顔を背けた万里に雄三が笑う。これは左京さんが警戒したのも頷ける。わざとではないが楽しんでいやがる……。そうして帰宅の段取りを決めている三人を眺めながら腕時計を確認する。幕が上がるまでもう少し。そこでタイミングよくアナウンスが流れ、雄三に見送られながら劇場内へと足を踏み入れた。

 着席し緞帳を見つめる。二十一歳最初の演技。きっと自分は今日を忘れない。それは同じく兵頭も。

 照明が落ち、ブザーがなる。───開演だ。

 開幕からの激しいアクション、そして何より今回注目すべきは群像劇であることだ。十座が演じる役も物語の流れを完成させる重要なピースであり、登場人物それぞれのエピソードが一つの物語へ集約されていく。話の進みも軽快で小気味好い。台本だけでは理解し得ないこのテンポに加えられた一つのアドリブ。兵頭の迷いはこういう事だったのか、とアドバイスしておきながら今になって納得させられる。……悔しい事この上ない。演出も構成も面白くて仕方がない。客演だから、と遠慮し抑える気など毛頭ない強い存在感。そしてあの日のように加えられた新たな切り口のアドリブに万里は口元を手で押さえた。心底、悔しくて面白くて仕方がない。その綯い交ぜになった感情に自然口端が上がる。行け、反撃の狼煙を上げろ。

 瞬間、アドリブで返した兵頭に心を奪われた。

 きっと兵頭本人はアドリブを入れたつもりはないだろう。そう、役が喋った。板の上、完全にお前がお前でなくなる瞬間。お前に〝誰か〟を見出し、ぞっとする瞬間。それでも次の瞬間にはテメェの熱が伝わってきてどうしようもなくなるんだ。ああ、早くお前と芝居がしたい。

 気付けばあっという間にカーテンコールでスタンディングオベーションの鳴り止まない拍手。ただ一人拍手もせずに舞台上、端に立つ一人の役者へ視線を送る。目が合って、眉尻が下がった表情をどうしようもなく恋しく思った。そうして拳を作ると胸の前で小さく投げた。投げた拳に気付き、右手を強く握り締めた相手の姿が下りる幕で隔たれる。

兵頭、好きだ

 再び合流した母親とロビーで混雑が落ち着くまで会話をし、ようやく静けさを取り戻したロビーに雄三が現れた。送る二人を促しながら万里を振り返るとバックステージパスを投げる。受け取り、三人の背中を見送ってから一つ頭を掻いてロッカーへ向かった。花束を確認すると、まだまだ青々と元気な姿に思わず笑みが溢れる。楽屋を恐る恐る覗き込むと帰り支度をする十座だけがそこにいた。他の役者陣はどこへ行ったのか、ときょろきょろしていると「おい」と声が投げられた。

「風林火山のメンバーは?」

「雄三さんが監督と母さんの送迎を引き受けてくれたからスタッフの指示や手伝いで行っちまった」

「ふぅん」

 花束の入った手提げ袋を持つ掌が汗ばむ。ぐ、と袋の持ち手を握り直すと十座に背を向け中身を取り出す。カスミソウがあしらわれた五本の花束。袋を畳んで小脇に挟むと万里は背後の十座を一瞥した。距離を確認して息を吐き出すと振り向きざま十座の胸に花束を押し付けた。

 ばしりと胸に押し付けられた花束に十座は目を丸くする。そうして受け取った花束をまじまじと見つめていると万里がぽつりと呟いた。

「秋組から」

 万里の言葉に十座が視線だけを上げる。顔を背けてどこか不機嫌そうな万里の様子から秋組四人に渡すよう頼まれたのだろう。そうして十座は再び花束に目を遣る。真っ赤な花に自身のモチーフフラワーであるヒガンバナを思い浮かべたがヒガンバナとは異なる可憐な花容は花に疎い十座ですら見覚えがあるもので目を瞠った。

「……赤い、コスモス…」

 コスモスは目の前の男のモチーフフラワーだ。赤いコスモスなどあったのかと驚き、顔を上げると万里はポケットに手を入れ真っ直ぐこちらを見つめていた。目が合うと何か言いたいことでもあるのか首の後ろに左手を回し、あーと間延びした声を漏らしていたが頭をわしわしと掻き回すと眉尻を下げてはにかむような少し困ったような表情で微笑んだ。

「千秋楽、よかった」

 そう言うとどこかすっきりとした様子で万里はいつもの悪戯っぽい笑みを浮かべた。

 少しは紬さんと丞さんのようにかっこよくなれただろうか?

 今はもう届く距離にいる目の前の男へ拳を向けてみると、十座は俯いて口元を控えめに綻ばせたあと確かな拳を返した。共有できる確かなものに嬉しさが込み上げる。そこから互いに我に返ると揃って慌てて目を逸らしそっぽを向いた。

「さっさと帰るか、全員お前のこと待ってるからな」

 十座は頷くと最後に連絡ボードへ風林火山全員へ向けた感謝のメッセージを残した。二人で搬入口を出ると駐車してある見慣れた共用車の助手席を万里は指し示した。車に乗り込み互いに無言のまま寮に向けて出発する。走り出した車内で万里が助手席をちらりと一瞥すると十座はきょとんとした様子で未だ花束を見つめていた。

「……はっ、食えねぇぞ」

「………赤いコスモスがあるんだな」

「俺も初めて知った」

「名前あんのか?」

「………ストロベリーチョコレート」

 伝えると暫し沈黙したあと、ふ…と笑みを含んだ穏やかな吐息が車内に響いた。赤信号で停まると助手席を振り向き見る。

「可愛いな」

 嬉しそうに花束を口元に引き寄せ、穏やかな表情を浮かべる十座に万里の心臓が煩いくらいに早鐘を打った。

「っ……気持ち悪ぃ」

「……ふん。コイツみたいに真っ赤になってるテメェの面をどうにかした方がいいんじゃねぇか?」

「………っなら、お前がどうにかしてみろよ」

 思わず口を突いて出た言葉に万里自身驚き、目を見開いた。最悪だ……。万里が動揺していると十座は暫し黙り込んだあと口を開いた。

「摂津、行きたいとこがある」

「あ?」

 信号が青に変わる直前「……海に行きてぇ」十座はそう呟いた。

 そうして気付けば寮の方角から離れていくように海へと行き先を変えて走り出していた。

 あまりに遅い帰宅を訝しみ何度鳴ったか分からないスマートフォンを助手席の十座は確認しなかった。心を尽くされれば全力で返す普段の様子からそのことを意外に思う。どうにかこうにか日付が変わる前に辿り着いた海は畝りを響かせる真っ黒な塊だった。車から降りて、情緒もへったくれもねぇな…とまるで自分の十座へ対するどす黒い感情のようだと自嘲気味に眺めていると雲が流れて月が顔を出した。顔を出した月明かりで真っ黒な塊がきらきらと光を灯す。

「……綺麗だ」

 光を灯した水平線に十座が感嘆の声を漏らす。万里が抱える剥き出しの感情を表したようだった海が月明かりだけでこんなにも様変わる。そしてそれを綺麗だと評した横顔を眺めているとこちらを振り向いた。

「どうにかしてみろと言ったが何をすりゃあいいんだ」

 先程発した言葉尻を捕らえた十座に万里は目を泳がせた。

「もう赤くねーし」

「コスモスは真っ赤だ」

「そりゃそういう色なんだから真っ赤だろ」

「……ならなんでコスモスにした、」

 その言葉に押し黙る。再度海へと目を向けた十座は「ヒガンバナでも良かったはずだ」と呟いた。

「………名前がお前好みの食いもんだったから」

 そう返して唇を引き結ぶ。決着をつけるつもりで選んだ花だった。なのに板の上に立ったコイツが自分の心に火を灯してしまった。どうしようもなく好きだと思う──それだけならどんなによかっただろう。劇場ではあんなにも高揚して心躍ったのに、そこに含まれた不純物にがっかりだ。

 俺はお前に触れてぇ。お前に欲を吐き出したい。

「摂津、」

「んぁ?」

 万里が顔を上げると十座は身体ごと向き直り、確と自分を見据えていた。穏やかだった様子から一変して緊張した面持ちの十座に目を瞠る。

「俺は卒業したら役者の道を進む。役者一本の道を選んだ。就職先は、……当然MANKAIカンパニーしかねぇがお前にはちゃんと話しておきたいとカーテンコールの時に思った」

 月明かりに光る金色の双眸が射抜くように自分を見つめ、解れた。解れた双眸が揺れて伏目がちに逸らされる。逸らされた瞳とまた交わりたくて強い眼差しで訴えると強い意志を湛えた金色が応えるように万里を射抜いた。

「摂津、好きだ。今日カーテンコールの板の上で、……板の上で………ってぇのが気に入らねぇが…そう、気付いた」

 雲が流れて月が顔を隠した。再び黒い塊となった海を視界の端に捉えながら万里はそろりと息を吐き出すように呟く。

「……バカ、そんなんいちいち言うんじゃねぇ」

 お前のそれは俺のと違うだろうが。そう言おうとして口を開くも言葉を紡げなかった。

「何度でも言う。あの花束みてぇに触れてみたい、と……思ったから」

 海風と波の音で攫われそうになる声に必死で耳を澄まし、真っ赤になって手の甲で口元を押さえた十座に近付く。近付いて間近の金色を絡め取ったまま暫し見つめ合うと頬に、触れた。

「………はは、あちー」

「お前がこんなにしたんだ、どうにかしろ」

 俺はお前にそんな感情を抱かせた奴がいたら性別関係なくぶん殴るかもしれねぇって思ってたんだ。板の上だけでよかった。いつか紬さんと丞さんみてぇにかっこよくなれっかなって願っていた。なのに、素直になれないそこへ不純物が混ざって永遠に辿り着けなくなっちまった。今日ようやくあのカーテンコールの瞬間、片足だけ辿り着けた気がしたのに次の瞬間には〝不純物〟が勝った。

 加えて今度は片思いの相手に先まで越されちまうとか洒落にならねぇ。花を贈ったのは俺だから。素直になるから聞いてくれ。

「兵頭、誕生日おめでとう。……この先も一生一緒に芝居すんぞ。それと、………」

 黙って俺の言葉を待つ兵頭に唇が触れそうな距離まで近付いて額を寄せた。

「……兵頭、好きだ。どうしようもねぇ欲望も、込みで」

 そう言葉を吐き出して寄せた額を離すと思いきり笑ってみせる。俺は今、幸せそうな顔をしているか?

「…………やっと、言ったな」

 照れ笑いする万里へ眉尻を下げてどこか困ったように下手くそな笑顔で返した十座は万里を震える手で抱き締めた。震える指先がシャツをぐ、と握り締める。震えていた手に気付いた万里は十座の髪を優しく梳いたところで香る匂いに自分と同じメーカーのヘアオイルを贈ろうと決めた。

【九月二十八日 ─MANKAI寮】

「おい、月岡。摂津がお前に悪影響受けちまったじゃねぇか」

「悪影響?」

「ったく。俺より先に摂津と飲みやがって……兵頭連れて帰ってこねぇのはお前が悪い」

「左京くん酔ってるみたいだね」

 九門が暫く粘っていたものの莇にどやされたのを合図に学生組は仕方なく就寝した。そうして監督を誘って酒宴を始めた一部の大人達は酒と肴を楽しみつつ、のんびりと二人の帰りを待っているところだ。雪白東に宥められながらもグダを巻く左京に紬は眉尻を下げる。そんな紬を一瞥し丞が呆れたようにお節介焼き、とぽそりと溢した瞬間どうしようもなく可笑しくて、けれどどうしようもなく嬉しくて紬はあははと声を上げて笑った。

【九月二十八日 ─早朝】

 海風の冷たさにようやく気配を見せた秋を感じて二人は狭い車内に戻った。車内で先程までの千秋楽について語らいながらニヒルの祝祭がそれに近かったがMANKAIカンパニーでもがっつりとした群像劇をやりたいと盛り上がっている内に緊張から解放された安心感で二人揃って寝こけてしまい、水平線を輝かせる朝日で十座は目を覚ました。

「せっつ、せっつ」

 寝起きの掠れた声で十座が助手席から左袖を引っ張るとそれに気付いてようやく目を覚ました万里は朝日の眩しさに目を瞬かせた。掠れた声に後ろに積んであった飲料水のボトルを手渡す。一気に半分まで飲み干すと十座は「腹が減った」と訴えた。それに生返事をした万里の横顔を暫し見つめてから十座がぽつりと呟く。

「……朝まで連れ回されちまった、ヤンキーめ」

「ああ?! 何言ってんだ、テメェが海行きてぇって……」

 勢いよく隣を振り向いて万里は言葉を飲み込んだ。頬を紅潮させた十座の姿に前髪を掻き毟る。

 手ぇ出してねーうちから朝帰りするだけでこんなんなるんかよ……

 いやしっかし連絡一本も入れてねぇでどうすっかな…、と置かれた状況に万里が頭を抱え始めたところで十座が再び口を開いた。

「怖い思いしたって、言ってみるか」

「おまっ、ハァ!? 濡れ衣……てかあざとくねーか!?」

 万里の勢いに十座が堪えきれなくなり一頻り笑ったあと「言うわけねぇだろ。こんなん鵜呑みにすんのテメェくらいだ」と目を細めた。

 コイツ、惚れた弱みにつけ込んでんのか? ヤベェ……絶対形勢逆転させねぇと。

そんなことを考えていると「行くぞ、運転手」と隣から投げられた声に再度文句を返して発進する。

 朝日射す帰り道、腹を鳴らして何を食べるか騒ぎながらライバルであり仲間である恋人達の一日は始まった。

 

 

【ある日の一〇四号室】

 その後、少ししてから選んだ花の意味を話そうか悩んで『まだまだね』と笑う幼い姉の姿を思い起こした万里は十座を手招きした。

 終わりは始まりってとこは俺達に合っているだろう。そう言って腰を抱いてみると、諦めてたくせに言ってんじゃねぇ。……それとまだ早い。と返ってきた声と赤い頬に万里ははにかむように微笑んだ。

 

 五本の花束の意味は「あなたに出会えた喜び」

 俺達秋組五人からお前に、花束を───

 そして俺一人からこの花を。

 ストロベリーチョコレートの花言葉は「恋の終わり」

 これはまだまだかっこ悪く足掻く俺達の恋の終わりの話だ。

 

 了

 

 

あとがき
2023年ACT3当時に書いた21歳摂兵の馴れ初め話でした。色んな点が捏造なのと見落としてた設定やら新たに出た情報と違っちゃったな~といった話ですがやはり書いていて楽しかったです。この二人については続きは書かなくていいなって気持ちが強いです。野暮かなと。そして文章のまとまりや改行などが読みづらい…。背景のグラデーションは黄金(こがね)~赤に変化しています。キバナコスモス~ストロベリーチョコレートへ変わっていくような感じにしたかったのですが背景色うるさかったら申し訳ないです。縦書きだとグラデーションが最後何色に変わるのか丸見えになってしまうので上手い方法はないものか。
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