フセンとマーカー
「んー? セッツァー、この三色マーカーセットなに〜?」
摂津万里は慌てて顔を上げると背後で引き出しの中身を段ボールに詰めている三好一成の肩を掴んだ。
「わわっ!」
「それは………、捨てんな…」
その言葉に一成は眉尻を下げると「捨てないよー」と微笑んだ。微笑む一成に万里は頭を掻くと溜め息を吐いた。一成の瞳が好奇心に満ちている。知りたい、教えて、という眼差しに観念して万里はローテーブルを置いた共用スペースを顎でしゃくった。すると一成は嬉しそうに既に使い終えた三色マーカーセットの入った箱を一緒に持ってきた。
持ってくんなよ………。
万里が辟易していると一成がマーカーのプラケースに貼られた西暦の記されているマスキングテープをそっと撫でた。
「七年前から始まってるね」
「……あー」
「そこから毎年貰ってる感じ?」
そう言って嬉しそうに微笑んだ一成の瞳がとても愛おしいものを見たように柔らいだ。そうして「イェイ!」と言って箱と並べて引き出しに収まっていた数冊の台本から一冊を両手で掴むと見せびらかすように胸の前で掲げた。台本まで運んできていたことに万里はぎょっと目を見開いてからテーブルに肘をついて頭を抱えた。そんな万里の様子に楽しそうに一成が笑う。
「特別なマーカーだ」
「特別じゃねーよ。台本だって天美の課題だったり演助で行った手伝い先のやつだったりまちまちだろうが」
「えー。でもわざわざマーカーと並べておくのは特別じゃーん。ヒョードルが毎年くれるんだぁ」
その一言に万里は一成を険しい表情で睨み付けた。「怒んないで〜!」と言いながらも笑顔の一成が腹立たしい。
そう。これは二十一歳の誕生日から始まったアイツからのプレゼント。プレゼントと言うにはあまりにもプレゼントらしからぬ贈り物。机に置き去りにされていた商店街にある文房具店の紙袋。その中身がこの捨てられずに保管している三色セットの蛍光マーカーペンであった。「誕生日おめでとう。やる。」と一言だけの素っ気ない手紙が添えられて。手紙は厳重に保管しているのでバレずに済んだ。危ねー。
「そーだよ、毎年マーカー。実用的で使い終わったらそれで終わりだ」
実用性があって、使い終わったら後腐れなく捨てられるもの。けれどそれを使って役者にとって大切な台詞を、言葉達を、彩ったら最後─永遠に目に留まるもの。当時の役者としての自分と演出助手としての自分が台本と共に彩られ、経験として思い出として残り続けるなにか。
捨てずに残して置いてしまったのは、この恋慕が相手への負けを喫したから。
恋慕の情は認めたものの思いを伝えることはせず、それを帯びた好意と共にのんびりと時間を重ねている。贈った兵頭十座からしてみれば、日常に有り触れていて気兼ねなく捨てられるもの。けど俺にとっては贈り主一つの違いで途端に特別なものになる。──俺が台本を読む姿やマーカーを引く背中、使う頻度。誰かが見ている日常の、当たり前の、自分を知って驚く。そんな俺を見ている奴がいる。
胸の中であれやこれやと思いの丈が溢れてしまい、思わず口元を押さえるとそっぽを向いた。それを見られたくない、といった反応と捉えた一成もテーブルに置いた箱へ向き直る。向き直ってぽつりと呟いた。
「オレもテンテンから貰った岩絵具が勿体無くてなかなか使えなくてさ。けど去年それを使い切って作品を仕上げたんだよね。そしたら賞を貰って『手元に置きたい』って言ってくれる人まで現れて。めーーーっちゃ嬉しかったな」
口振りからして絵は手放してはいないし、岩絵具の入った容器も大切に保管しているのだろう。あの作品か、と声を掛けると一成が嬉しそうに制作秘話を語り始める。楽しそうな一成を見つめながら、当時の自分を振り返った。
───……
酔って火照った身体と頭で自室に戻ると机に紙袋と封筒が置かれており、万里は目を瞠った。コードレスのデスクライトをテレビの後ろから持ち出すと椅子に腰掛け、まずは封筒を開けてみた。シンプルな無地のミニレターセット。手紙と言うには小さな物だった。そこに書かれていた言葉に、見慣れた文字に、見る度にどうしようもなくなる名前に、万里は目元を覆った。耳から首から真っ赤になった自分を心の中で嘲笑う。酒なんぞより度数が高い。度数どころか熱が出そうだ。
『摂津へ 誕生日おめでとう。やる。 九月九日 兵頭十座』
普段のブログじゃねーんだから日付要らねーだろ。そもそもブログは入力しなくても自動で日付が入んだよ。日付と署名必要ねーから。
どうしようもないくらいの恥ずかしさと嬉しさを一人ツッコミで誤魔化しながら万里はそっと頭上のベッド裏を見上げた。そうして視線をそのまま後方へ移す。十座の情緒もへったくれもない鼾が聞こえるばかりで万里は顔を戻すと頭を掻いた。音を立てないように紙袋を開けると出てきたのは三色セットの蛍光マーカーペン。丁度切らしたばかりだったことを思い出して息が詰まった。
勿論、丁度切らしていたことは十座本人は知る由もないだろうが演出助手を始めたことで更に増えた台本のマーカーや書き込みに思う所があったのだろう。
実用性があって使い捨てで済むもの。
兵頭らしいプレゼントに表情が緩む。皆木綴への揶揄いながらのおねだりや皇天馬と出掛けるハイブランドのプレゼント選び、瑠璃川幸からのセンスのあるアクセサリー、弟・兵頭九門からのやはり実用性のある健康グッズ…… それらを思えば選ぶ際に色々と悩み考えたであろう姿まで想像してしまってどうしようもない。
知り合って四年。初めて貰う誕生日プレゼントがこれか。なら自分はどう返そうか。このプレゼントに見合うもの……。そうしてマーカーを使う楽しみにはしゃぎつつも二十七日に二十一歳の誕生日を迎える十座へ贈るプレゼントを考え始めた万里は頭を抱えた。腕を組み、じっと考えるも頭に浮かんでくるものはどうしても手元に残るものばかりだ。つい何か良いものを、と格好付けようとしてしまって頭を振ると一度自室から外へ出た。外に出ると冬組の月岡紬と高遠丞の二人が台本片手に談笑していた。
「あ、万里くん」
紬に呼ばれ、二人の元へ足を運ぶ。そうして台本を指差した。
「こんな夜遅くに外で台本なんか読めんすか」
「あっはは……。今日はお酒の席で万里くんがピカレスク・リターンズの話をたくさんしてくれたじゃない? 俺達もうずうずしちゃって」
これから始まる第四クォーターを前に思わず二人で当時の台本を持ち出してしまったとのことだった。そんな二人に万里の口元も綻ぶ。
「俺も演助として気合い入れねぇと。満開公演当時、監督ちゃんが不在だった頃の駄目出し今でも忘れてねーんで」
そう揶揄うと二人は顔を見合わせて苦笑した。だがしかし何故中庭になどいるのか。万里が首を傾げると丞が気恥ずかしそうに首に手を回した。
「いや。ラファエルはもしかしたらこうして夜に人間界にいるミカエルを見に来ていたかもしれない、と色々考えてな」
「そのまま朝日に溶けちゃいそうだよね」
紬のラファエルが天界に戻る際の表現に丞が大真面目に「お化け屋敷で取り憑かれたか?」と訊ねるので万里と紬は有栖川誉手製のお化け屋敷を思い返し声を出して笑った。一頻り笑ってから万里は二人が手に持つ台本を見つめた。たくさんの付箋が貼られたそれに目を細める。
「俺のピカレ初演の台本、ほとんど真っ白だった」
その言葉に二人は再び顔を見合わせた。今度は少し驚いた後に酷く優しい表情を浮かべて。
「今は付箋とマーカーだらけだな」
「はは。演助やり始めて当時の台本開いた時、顔引き攣ったっす」
そう言って、はたと気付いた。十座の台本に。書き込みだらけで毎回ボロボロになる台本は付箋を貼るのは苦手なようであまり付箋がついていないことに。要点を決め兼ね、纏めるのが下手くそで全てに全力を出す兵頭の苦手分野。付箋か。付箋ならまぁ使い終わったら残るのは台紙だけだし捨てられるわな。その前にまずは付箋の貼り方からか。
閃いた誕生日プレゼントに万里はにやっと笑ってみせると二人へ改めて誕生日祝いの礼を伝えて自室に戻った。
実用性があって、使い終わったら後腐れなく捨てられるもの。けれどそれを使って役者にとって大切な場面を、心情を、彩ったら最後─永遠に目に留まるもの。当時の役者としての自分と役へと身を窶した自分が台本と共に彩られ、経験として思い出として残り続けるなにか。
──そうしてマーカーへのお返しにはぴったりのプレゼントを万里も毎年贈り続けている。同様に一言の手紙も添えて。
付箋とマーカー。どちらも百均でも手に入る何でもないものだ。けれど商店街の文房具店で数色セットになったクリア付箋をしっかりと吟味している。毎年種類や色は変えた。その時々の自分の気分で。そして兵頭が直近で演じる予定の役の印象に合わせて。
もうすぐ七年目を迎えるそれは、今年は机の上に置かれることはないし置く予定もない。
「ハァー。セッツァーが寮出ていっちゃうの寂しいよー! 今からナシにしない!?」
一成の言葉に万里は「今更んなことできっか」と肩を揺らして笑った。
寮を出る。それは今まで共同生活で得られた強み── 役者達の心の機微や変化、役への向き合い方を自分自身の力で感じられるようになりたかったからだ。勘は鋭い方だし気遣いもできはする。しかし人の心に入り込む、というより心に触れる、ということは元来苦手分野である。このカンパニーで、共同生活で、築いた絆で、得られた感性と経験則から大学内や他劇団で周囲を取り敢えずは観れていただけだ。寮を離れて知ってみたい。何があったか見えないままで二十三人と総監督を。手伝い先の見知らぬ役者達を。別に劇団から離れるわけでもないし毎日顔を出すどころか稽古から公演期間中は寝泊まりまでする可能性が高い。だが、それでも。試せることは何でも試したい。
「ヒョードルからプレゼント貰えなくなっちゃったらどうするの?」
揶揄いながらもごねるように呟いた一成へ万里は満面の笑みで言い返した。
「そんなん、家に持って来させるに決まってんだろ!」
これからも変化してゆく自分達を楽しみに。
挑戦と期待を孕んで、万里は得意げに笑ってみせた。
─了─
万里くんお誕生日おめでとうございました。
ACT4軸はあと二、三年は書かないだろうと思っていました。昨日まで。素敵なバースデーボイスをありがとう…。
今までも何か贈り物はしていそうな気もするのですが毎年毎年バースデーボイスで着実に、しっかりじっくりと、時間を重ねていっている光景をこちらまで見せていただけて本当にいいんですか?の気持ちです。すごいや。
多分この二人は毎年手紙の内容が長くなっていくタイプの二人。あと万里くんは寝泊りせずにきちんと帰る派。