のこった口紅

 テレビから流れる恋愛ドラマによって談話室に微妙な空気が漂っていた。なかなかに激しい恋愛模様は椋から借りた少女漫画数作で見覚えがあるとは言え、やはり慣れないものだった。劇団の企画で好みのタイプを聞かれた際に好みでなく惹かれる存在を答えてしまったことも思い起こされ複雑だ。「恋愛」というものがよく分からない。恋と愛。恋と愛? それを並べて恋愛。分からねぇ……。愛であれば多少は分かる。家族に向けるもの、仲間に向けるもの、物事に向けるもの――。恋愛はその前段階ということか? しかし先程列挙したものに恋という前段階……は存在していない……と思う。気付けば、愛おしさと守りたい想いがあった。その想いに前段階があるとしたら入団したばかりの秋組内での旗揚げ公演のやり取りがそれで、母の胎内で育まれる弟を待つ日々がそうだったのだろう。

 そうか。恋があったとするなら。きっと演劇への憧れと諦めと入団オーディションに足を踏み出すまでの時間のことなのかもしれない。ずっと、近付きたかった。

 だが、それだと恋から家族愛や親愛、友愛というものに昇華されているのではないか。恋をしながら愛する。確かに演劇に対しては今もそうなのだろう。それを人に対して、となると難しくねぇか? 恋愛というものは実際に体験してみねぇことには分かりようもない。そんな答えに至ろうとしていたところで隣に座る椋から小さな声が上がりテレビへ視線を戻した。キスをする男女がテレビに映し出されていたが、どうやら合意の上ではなかったようで女は男を突き飛ばした。そういう合意を取らない勢いってのも恋愛の怖いところということか。のめり込み方によっては犯罪に近ぇんだな……。相手の想いも考えず、無理に振り向かせることのなにが楽しいのか。

「うぉ、」

 その声に振り向くと、談話室の入り口で逃げるように駆け出していった莇の後ろ姿と取り残された摂津がそこにいた。摂津の姿を見て、はたと気付く。

 相手のことなど考えず、ひたすら身勝手に振り向かせようと踠く姿は――

 その男の過去の行いに、思わず目を瞠る。決して恋愛ではないのに、ドラマの一幕との違いが分からなくなってしまった。無理矢理に押し付けて。振り向かせようと必死で。身勝手にぶつかり合う様はまるでドラマのようだ。驚いた表情の十座に気付いて万里は顔を顰めた。

「なんだよ」

 万里の問い掛けを無視して立ち上がると十座は万里の横を通り過ぎて談話室を出た。十座を見送ってから万里はソファに腰を下ろす仲間に向けてどういうことかと口を尖らせた。首を振る仲間達に頭を掻くと万里は「莇見てくる」と引き返した。談話室を出ると玄関先の談話スペースに真っ赤な莇がいた。

「作りもんだと割り切るってのは」

「つ、作りもんで!! あんなことまでするとか!!」

 ありえねぇ、と真っ赤に染まったままの顔を覆った莇に万里は片眉を持ち上げると困ったような笑みを浮かべた。

「実体験の前に本やドラマで追体験や擬似体験をしたり知識を得ることは大事だぜ。第十回公演みてぇにな」

「っく……。それは、そうかもしんねぇけど、……今さっき出てった十座さんだって真っ赤だった」

「はぁ〜〜?」

 あいつが? 別にあんなもん大したことねぇだろ。それよか椋から借りてる少女漫画に擬態したレディコミレベルの過激な漫画読んでる姿に度肝抜かれるっつの。ふと振り返った際に共有テーブルで真剣にそれを読む横顔に困惑したことを思い出す。

「もうすぐドラマも終わるだろ。忘れもん取りに行ってくるわ」

 ひらひらと手を振ると莇はデカイ溜め息を吐いてから相槌を打った。

 一〇四号室の扉を開けると突っ立ったままの兵頭がいた。扉を閉じて、顎を上げる。

「邪魔」

 その言葉に僅かに振り向いた金眼が鋭い視線を放った。睨まれるようなことをした覚えはない。久々の兵頭からの挑発に期待で胸が高鳴った。

「……てめぇ。〝恋愛〟って、分かるか」

「あ?」

 その質問に万里は怪訝な表情を浮かべるしかなかった。持ち上げていた顎を下げ、思案する。気持ち悪ぃと一蹴するところだが。

「椋から借りた少女漫画読めば分かんじゃねぇの、」

「……分かんねぇ……。共感も、しにくい……」

「ふぅん。本だの漫画だの自分が演じる役として読めるもんだと思ってた」

 兵頭への過信を口にしたことにばつが悪くなったが、そんな俺の動揺も露知らず考え込む様子に胸を撫で下ろした。流石に少女漫画は役に変換してのめり込みようもないか。

「似た関係値と比較することなら、」

 似た関係値? まさか。ふざけやがって。

「監督ちゃんとてめぇが?」

 口を吐いて出た言葉に兵頭が勢いよく振り向いた。口を開け呆れて物を見るような表情を向けた兵頭を睨み付ける。

「お前に聞いた俺がバカだった」

「はぁ!?」

 口を尖らせた兵頭がまた俺の脇を通り過ぎて扉を出ていこうとした。その肩を掴む。振り向いた不機嫌な表情は談話室の扉を開けて飛び込んできたドラマの一幕を思い起こさせた。何故かは分からない。ただ、二人の唇に残された淡い色が目の前にある頬の色と重なった。

 

 ―了―

 

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