幕間・一

   同室の男と一緒に舞台を観に行くことになった。

 ローテーブルで課題をしていたら横から手が伸びてきて舞台のチケットを差し出された。怪訝な顔を向けると天鵞絨美術大学で同じ演劇舞踊科に籍を置く同期生に自身が出演する舞台を観に来ないか、と誘われたらしい。そうして同期生がもう一枚を自分に、と指名し押し付けてきたのだと摂津万里から告げられた時は首を傾げるばかりであった。渡されたフライヤーを眺めながら天美構内で開催されるワークショップで度々見た生徒だと兵頭十座が思い返していると背後で扉が開く。

「たでーま」

「……おう」

 一瞥をくれてすぐにフライヤーへ視線を戻した十座の態度に万里は面白くなさそうに眉を顰めるとラグの上に気に入りのリュックを下ろして背後に近付く。

「……なんだ」

「あー? 舞台楽しみなん?」

 背後の気配にそれ以上近付くなと言いたげな牽制をした十座に万里はバツが悪そうに頭を掻いた。

「ああ。ワークショップで見たことのある奴が舞台に立つ姿が見れるからな。楽しみだ」

 背後からでも十座が楽しそうに表情を緩めたのが分かり、万里は十座の座るデスクチェアの背凭れに手をついた。

「ふぅん」

 十座は周りをよく見ている。舞台の上での視野の狭さは相変わらずではあるが、悪意の目に晒され続けてきた過去からなんだかんだと周りを見ているし芝居に賭ける情熱は他者の表現を貪欲に観察した。そんな十座の瞳が自分に向けられたことに万里は満足するとフライヤーを奪うように取り上げた。

「ま、俺も楽しみだけど。公演内容もウチではやらねぇ題材だしな」

「……ラブコメ…。椋から漫画でも借りるか」

「予習無しで見るのもおもしれーんじゃね。俺もラブコメ舞台とか見たことねーし」

「授業でやったりすんのか」

「あ? エチュード練でやったことはあったな」

 その言葉に十座は意外そうに目を見開いてから万里の背凭れについた手を弾くように椅子を回転させると「一人でやってみろ」と共有スペースを顎でしゃくった。

「ハァ?! やらねーよ」

「ちっ。つまんねぇ野郎だ」

 十座の無茶苦茶な言い分に万里が不機嫌そうに表情を歪めたところで十座がぽつりと溢した。

「お前のエチュード、見たかった」

「へぇ」

 素直な言葉に動揺を隠せない万里がむず痒さで思わず項を掻いていると十座は目を細めて笑った。

「照れてんじゃねぇ」

 くそっ……そういう表情も様になんだよな……、と万里が悔しがっているとデスクに向き直った十座は再び「楽しみだ」と囁いた。

 今からお前と舞台を観に行くのが、楽しみだ。

 劇場に到着した二人は壁際で賑わうロビーを眺めた。

「ロビー広いな」

「……MANKAI劇場のロビーはこじんまりとしてるからな」

 天井のダウンライトの数を何の気無しに数えていた万里は隣の十座へ視線を戻した。そわそわと視線を四方に彷徨わせる姿に万里は呆れた目を向け、腕をぐいと掴む。

「お前な、おのぼりさんじゃねぇんだからよ」

「……色んなもん見ときてぇ」

 上の空で返し視線を動かす十座の様子にこうして兵頭と二人きりで観劇する機会はなかったなと万里は眉尻を下げた。これからはこういう機会を増やしていけばいい。

「だがなんで俺なんだ?」

「あ?」

「相手がチケットくれた時に俺のこと指名したって言ったじゃねぇか」

「………おー。向こうもワークショップでてめーのこと知ってたし俺と同じ劇団しかも同じ秋組ってことで興味持ったらしい」

 半分嘘だけど、と心の中で付け足した万里は時計を確認すると十座に「行くぞー」と声を掛けて歩き出した。

 幕を開けた舞台は明るくも眩しさより優しさが印象的な照明で輝いていた。ラブコメディの明るい雰囲気や可笑しみを最大限に活かすように調整された照明に万里の脳裏に芹沢灯の顔が浮かぶ。

 ミュージカルへの出演を夢見る大根役者のヒロインとそんなヒロインの大根役者振りに苛立ちながらも応援する俳優の物語。観劇前から二人揃って大根役者のヒロインに自分達の総監督を重ねていたのだが、ヒロインの歌声を聴いた瞬間に万里は目を瞠った。

 澄んだ歌声が劇場全体に響き渡る。

 その瞬間に優しい色をしていた照明は眩しいほどに白く輝き、ヒロインを包み込んだ。光に負けないくらいの輝きを放ち、表情豊かに心の底から幸せそうに歌い上げるヒロインに観客は釘付けになった。

 ただ一人を除いて──

『歌の上手い大根役者』

 隣に座る男をうっかり重ねてしまった万里はもうここから先は作品に没入することはできないと悟った。ただでさえ観劇時に作品の世界観へ没入することが難しい性質であったが演出助手を始めてから余計に難しくなった。そこへまさかのヒロインと来た。どう足掻いても没入するなど無理だ。

 〝大根役者のヒロイン〟との情報に元々大根でない役者が兵頭の大根振りに勝つのは無理だろうなどと邪な楽しみに胸を躍らせていたし、何より先程までその愛嬌と直向きさに総監督の姿を重ねていたというのに。勿論監督ちゃんも歌は人並みに上手い。だがしかしこれは──

 ヒロインと相手役の軽快なコメディ。それを盛り上げる登場人物の中に同期生の姿もあった。くすり、と笑える場面ですらどうにも気が気でなくなってしまう。恋愛色も薄く万人受けする内容になっているのに、だ。

 こうして隣に座っていることも、やっぱ当たり前じゃねーんだよな……。

 そんなことを考えている内に舞台は幕を閉じていた。袖を掴まれ、視線を十座に向ける。

「摂津、行くぞ」

「……おー」

 そのまま劇場を後にし、隣を歩く万里のどこか惚けた様子に訝しみながらも十座はぽつりと呟いた。

「いい舞台だった」

「ああ」

 相槌を打った万里の横顔を窺ってから十座は興奮を抑えつつ舞台の感想をとうとうと語り始める。

「歌声で一気に作品の世界に引き込まれた。あの世界で歌がどれだけ愛され人を幸せにするかとか歌だけじゃなくコメディの軽快さに合わせた音楽もよかった。音楽の知識がねぇ俺にもちゃんと伝わるようになってんのもすげぇ」

「おー」

「………で? てめぇはあんないい舞台をなんでちゃんと観なかった」

 十座の言葉に目を瞠った万里は立ち止まって十座を振り向き見た。視線の先の十座は眉を顰めて万里の言葉を待っていた。

「いや、あー………集中力が、切れた……」

「飽きたのか」

 万里の歯切れの悪い返答に納得いかない様子で十座が聞き返す。決して飽きたわけではないことだけは伝えたかった。

「飽きてねぇ。飽きてなんかねーよ。ただ……ヒロインに、驚いただけだ」

 再び歯切れの悪い返答をした万里に十座は眉根を寄せると口を引き結ぶ。続く万里の言葉を期待したがその先は返ってこず、十座は更なる問いを投げた。

「……ああいうのが好みなのか?」

「ハァ?!」

 当人の前で白状する気恥ずかしさから視線を落としていた万里は予想外の受け取り方をした十座に目を剥いて顔を上げた。そうして十座のどこか不機嫌そうな様子に目を瞬かせた。

「なに怒ってんだよ」

「怒ってねぇ」

 怒っているとの指摘に動揺し、困惑の色を滲ませた十座の瞳に万里は手首を掴むと裏路地に引っ張っていった。大通りから一本奥の道に入ったところで口を開こうとした万里を十座が遮った。

「……楽しみにしてたんだ」

「俺もだっての。………歌の上手い大根野郎」

 ここまで言ってやらねぇと分からねーか、と観念したように呟くと握った拳で十座の肩を叩いた。万里の拳を暫し見つめてから十座が視線を返す。驚きに満ちた三白眼で万里を捉えた表情がどこか間抜けに見えて万里は手の甲で口元を覆った。

「ふっ間抜けヅラ」

「………うるせぇ。ヒロインと重ねる方がどうかしてる」

「お前がヒロインとか気持ち悪ぃ」

 はは、と腹を抱え笑い出した万里に十座は頬を上気させるとお前が言ったんだろうが!と声を荒げた。その言葉にてめぇのことを〝ヒロイン〟とは言ってねーとまた笑い出したのが余計に腹立たしい。これ以上構ってつまらない思いをするのも馬鹿馬鹿しい、と十座が背を向けて歩き出すと万里は慌てて腕を掴んだ。

「待てって! ストリートACT。してから帰ろうぜ」

「………。歌うのか」

「あ?」

 〝ストリートACT〟の言葉に一瞬、瞳を煌めかせてから視線を宙に彷徨わせ呟かれた十座の一言に万里は目を丸くした。

「天鵞絨町内だし演目内容と被っちまうから無し」

 勿論ストリートACTで歌うことに問題はないが先の劇団への配慮は必要だろう。何より人前で歌わせたくはなかった。

 以前、劇団の節目に秋組でバンドを組んだことがあったし当時十座のギター演奏の覚えの遅さにボーカルと交代することを提案したのも万里自身だ。だが、あくまでもそれは総監督とファンへ向けた限られた場所だったからだ。

 有象無象になんか聴かせて堪るかよ───

 そんな独占欲に塗れた感情を見せずに返せば、十座は素直にそうかとだけ頷いた。額面通りに受け取る目の前の男は気付きもしないだろう。今回招待されたチケットに指名がなかったことも。まぁ同期生から一緒にどうか、と名前が挙がるには挙がったが。

「……ストリートACT終わったらカラオケでも行くか。季節限定メニューもあんじゃね」

「……おう」

 季節限定メニューの言葉で僅かに緩んだ目元にどうしようもなくなって万里は眉尻を下げて微笑んだ。裏路地から大通りへ向かって並んで歩き出すと十座は大通りから射し込む光を睨み付け不機嫌を隠さず言い放った。

「次はちゃんと舞台に集中しろ。終わった後……色んなもん共有できねぇのはつまらねぇ」

 ──次。次があるのか。お前の中にも。

 おー、と万里が返すと十座が「カラオケはてめぇの奢りだ」の言葉と共に一瞥を寄越した。これには流石の万里も突っぱねられず頭を掻いていると穏やかな表情で微笑まれた。

「ストリートACTの設定どうする」

「あーそうだな、」

 端から見れば俺達には似合わないかもしれないが、お前と光射す方へと並んで歩くことは悪くない。

 続く

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